正しいの曖昧さ

こんにちは!
佐藤です。

昨日、今日と比較的暖かい日が続いていますが、
いかがお過ごしでしょうか?

来週には暦の上では立春を迎えるので、
このまま暖かくなって、
いい天気が続いてくれると嬉しいのですが、
きっとそれは難しいのでしょう。

 

さてさて、話は変わりますが、
最近私はよく「正しい」ということについて考えます。

学生時代であれば、
テストの度に問題の正解が決まっていて、
それに自分の回答が合っていれば「正しい」、
合っていなければ「正しくない」というように、
完全に正解と不正解が分けられました。

しかし、社会に出て人と関わって生活していれば、
ただ単に「正しい」「正しくない」で分けられることの方が、
むしろ少ないと思うのです。

社会に出て直面する色々な出来事に対して何かを判断する時、
そこには確かな「正解」「不正解」があるのではなくて、
その判断を下す人の良心に全てが委ねられることになります。

判断を下す人は、自分が持つ良心に従って、
その時自分が正しいと思った判断を下すでしょう。

ということは、
私たちはみんな各々の経験や考え方が、
生きてきた過程によって違うわけですから、
その時に下される判断も人によって違ったものになります。

そこに対して「正しい」「正しくない」のレッテルを貼ってしまうのは、
あまりに短絡的というか、もっと中身を見ようよという感じになってしまいます。

なんかだんだん評論の文を書いているような気分になってきました(笑)
劇団の公式ブログで何やってんだという感じですね…。

 

例えば、2人の人がいて、
その2人がお互いに対して何か要望がある時、
きっと2人とも自分の良心の中で判断した正しいことを主張すると思います。

でもそのお互いの正しいは100%一致するものではないため、
喧嘩になったり口論になったりする。

これを少しでも防ぐために、
私たちは「正しい」の基準なんて人によって全然違って当たり前なんだから、
100%の「正しい」ことなんて始めから存在しないということを理解して、
その上でお互いが納得できる落とし所を探す努力をしなければならないと思います。

と書いてはいるものの、
実際その場で話をしている時は、
人間どうしても感情的になり、
そんな冷静な判断はできなくなってしまいます。

本当に生きるって難しいですね。

 

個人的に新年一発目のブログ。
こんなことを書いてどうするの?という内容になりましたが、
今年も一年全力で駆け抜けていきたいと思います。

ようやくぱんだの今年の活動も始まりそうな予感がしてきたので、
早く動き出したいなぁという思いを胸に、
次の直人さんにバトンタッチです!!

では、直人さん!
よろしくお願いしまーす!!